1996年 孤児の支援活動が始まりましたが、通訳者を通しての支援活動には、大きな問題が発生し、継続が難しくなりました。現地の人たちの声をしっかり理解しないと活動できない。現地で暮らしながらクメール語の勉強を始め、意思の疎通が出来るようになると、全国をゆっくり廻り(1日1村〜2村)カンボジアの人々の「心、宗教、習慣、思想、願い、希望」を学びました。その結果は・・・識字率の低さ約20%・就学率30%・失業率50%を超え、貧困世帯が見えてきました。貧困が続く中、お金も無く、売るものがなくなると「子供が商品として、売られていきます。」何とかして「人身売買」が行われないように願い、日本大使館、ユニセフ、国連、こどもの支援NGOなどを訪ねましたが・・・支援の難しさを教えられるだけで、直ぐに役に立つような支援活動は見つかりませんでした。
1999年からは継続した識字教育、初等教育の必要性を感じ『寺子屋』を開校しました。しかし、現地での活動10年目の時、私が脳腫瘍に倒れ中央病院、彦根市民病院、日赤病院と、治療の可能性を求め訪ね歩きましたが、各病院の脳外科では『手術は出来ない!』と言われ、お迎え(死)が来る時を待つようになりました。その時の心は驚くほどさわやかで(このまま死を迎えても幸せだ)と、思えるようになりました。苦しみ、悲しむ人々のお役に立ちたい、と願い30年に渡って活動してきた事への御礼かなと、勝手に想い「もう一度生かされたなら命と時間の全てを奉げる。」と、心を決めていました。体調が悪く身体が思う様に動かない時は、ゆっくり休み、動けるようになれば、急がず、焦らず、支援活動を続けていく・・・
2007年10月1日『カンボジアこどもの家』栗本 英世 記

Delicious Turkish Recipes