2008年9月現在18村に小学校18校・中学校1校・幼稚園6校・生徒数7.000名、教師110名・スタッフ10名で運営しております。9月末日を持ちまして『寺子屋』支援活動10年間継続支援を迎えました。
これ等の教育支援活動は、現地の人達と地元の教育委員会・NGO『C.C.HOME』代表ロング・チョムルアン氏『カンボジアこどもの家』代表栗本英世の話し合いの中から活動内容を決め実行してきました。
2008年10月以降は現地の自立化を目指しポイペット地区の教育委員会に委託し、教師などの支払い給料不足分を補う経済支援をして行きたいと願っています。
また、9月調査で新たな問題が予測されるタイ・カンボジア国境沿い数百キロに渡る領地問題と電気の設置による貧困層の増大に備え、ポイペットからアンロンベンまでの地域に『寺子屋』を設置していきたいと願っています。
日本の支援者の人たちには活動報告と現状報告のみの広報でしたが・・・3年前癌(脳腫瘍)で倒れた私の体力・気力減退の中、これからの活動をどの様に進めていければ良いか皆で考える『支援者の皆様と話し合いの時』を持ちたいと願っています。ご理解いただける人たちで、これからの活動を考える場を もてれば幸いです。
数名の方々が集まっていただければ、そこにお伺いしてご説明と報告、話し合いの時を持ちたいと願っています。
ご連絡いただければ幸いです全国何処へでもお伺いいたします。
『カンボジアこどもの家』『カンボジアこどもの家』代表 栗本 英世
国際携帯電話 : 080-3110-7745
ボランティアと云う言葉について
ボランティア活動を続けてくる中で『ボランティア』と言われる言葉に違和感を覚え・風の吹き抜けるような虚しさと・寂しさを覚えていました。もっと適切な言葉は無いのか?「ボランティア」と云われている言葉の意味を辞書で探せば・『自ら志願する』と出ています。
他の人達から「何をされているのですか?」と聞かれると「ボランティア活動をしています」とは答えられない。あたかも「私は偽善者です」と、自分で告白しているような気持ちになる。「ボランティア」と云う言葉が持つ意味は、冷静になって考えてみるとボランティア活動をしている人達が喜び、自己満足に陥りその 成果だと思っている自分たちが自画自賛している自慢話のように聞こえてくる。
『ボランティア』と、云うイメージが出来上がり、何かをして上げる、助けてあげる、良い人達の活動のように思われている。ボランティア活動をしている人達は喜んでいるが問題解決には至らない。援助を受けているひと達の心が無視されているなぜ「違和感」を感じていたのか?
現実の支援現場では海外の人たちによって行われている援助活動が、援助を受けている人達の心を傷つけ・自尊心を失わせ、援助者の都合で「始めたり、終ったり」している現実に、一方的にして上げる・助けてあげる・導いてあげる活動が、村人達の反感を買っている事に気付 いていました。ボランティアに替わる言葉として、「無料奉仕」「奉仕」「援助」「支援」「介護」「善意」と、色々な言葉を並べても正しく表しているとは思えない。全ては援助者側の言葉で、援助を受けている人たちとの間が上下関係になっており、援助している人たちの都合で行なわれている活動は、援助を受けてい る人達の心を、自尊心をキズつけ無視されている様にさえ思える。
支援者と支援を受けている人達の関係で、上下関係を作らず、共に生きる活動になれば・・・・・・良いな~と、漠然と思っていました。
『共に生きる活動』 『共生活動』 『共生』
アレ、そうか ! この言葉をそのまま使えばいつも思っている疑問が解決するのではないだ ろうか ! ボランティア活動の実態として『共生』と云う言葉を使って行こうと想う時、私の心の中に固まっていた「ワダカマリガ」が無くなっている事に笑顔になれました。
『カンボジアこどもの家』代表 栗本 英世

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